佐藤史生 「羅陵王」

 亡くなった佐藤史生の著作を現在再読中。そのひとつを取りあげる。88年、白泉社刊。短編集。四篇収録。


●「羅陵王」……ある惑星のみで産出される長命の妙薬の正体とは――。ウイルスは種を選別し進化させる、という、来るべき新型インフルエンザのパンデミックと大量死に怯える現代にも通用する話。ペストや天然痘の例を出すまでもなく、その災厄はあらゆる生命にとって不可避のことなのだ。
●「アレフ」……萩尾望都「マージナル」の真逆。男性がいなくなり文化の衰退した地球、そこに生まれたたった一人の男性《アレフ》――という話。佐藤史生は理知や論理の欠如した女性では社会を維持できないという。
●「タオピ」……ある超能力開発機構に預けられた少女は――というSFのガジェットで包まれているが、レイプ被害を受けた少女と彼女をカウンセリングする女装の若い男の同悲の物語といっていい。ふたりは共に男の世界に抑圧され苦しんでいる。つまりこちらの主張は、男性社会は暴力的で支配的でわたしを窒息させるんだ、ということ。
●「緑柱庭園」……昔昔、ある国の女帝が親を失った貴族の少年を拾い養い、長じて彼を愛人としたが――という近親姦の香りのきつい話。色欲と職務を峻別するきわめて男性的な《母》が、色欲に囚われる若い《息子》に殺される――という構図が、佐藤史生の内面世界を暗示しているようにもみえる。


 四篇を通して漂うのは佐藤史生の所在のなさだ。女性的世界をカオスで感情的で理解できないとしながらも、一方で男性的世界を抑圧的で息苦しい、居場所がないという。
 さらに一方では、きわめて男性らしく欲と冷徹を両立させて生きる女には、悲惨な最期を用意させている。
 彼女の望みは、理性と論理をもち、一時の感情に決して流されない、無欲で非暴力的で支配的でもない――さながら宦官かロボットのような《去勢された男性》として生きることなのだろう。そのような登場人物は彼女の作品に実に数多い。
 もちろんそのような男性は、物語の世界にしか存在しない幻の男だ(――もっとありていな《男性》をセルフイメージとしていたら、おそらく彼女はあっけなくレズビアンになっていたのではと私は感じる)。
 自らが理想とする自分は現実には決してないものだ。それに自覚的であるゆえに、彼女の作品は常にどこか陰鬱だ。