卒業してる?

 大学に通っている夢を今でもよく見る。といっても暢気な夢ではなく、
「ちょっとまこりんさん、なに大学卒業してるフリしてるんですか?まだ必須単位の○×取れてませんよっ」
「えええっっ、マジすか」
 という、単位取りに奔走する夢ばかりだ。
 当時、真面目な大学生ではなかったのと、いまだに未熟な大学生気分だったりするのとでこんな夢が多いのだろう。時には高校と大学をはしごで通う夢を見る。もちろんこんなことは現実ではありえないのだが。
 ロックアウトが頻繁にあった学生運動の頃ならいざしらず、21世紀も間近に迎えた頃の私の大学は、単位を取るには結構骨だった。といっても、きちんと毎回出席し、レポート提出を怠らず、テストでそれなりの結果を出していればいいだけの話で、ただ私にはそれが大変だったというそれだけなのだけれども。特に出席という面においてね。
 やーでも、大学があんなに出席厳しいなんて。団塊世代からそのちょっと下の作家の読み物とかに、完全に騙されたよ。
 四年生になっても二年で取得できる他の大学でいう一般教養過程の部類の授業を出ていたし(――私の通った大学は留年という制度はなく、どんな成績の生徒も四年まで持ち上がれる仕組みになっていた)、将来卒業論文を書くための少人数の専門的な講義――いわゆる他校におけるゼミにあたるようなもの、も、一年の時は中国文学、二年になったら上代文学、三年は戦後の現代文学のコマを取ったけれどもなんかつまんなそうだったので二・三回出てパスして、四年取り直して江戸文学、と(――文学部で日本文学専攻だったのですよ、わたし)。卒論のことなど考えずおよそいい加減だった。
 それで結局卒論は上代文学で書くことにして、とはいえ12月にはいるまでまったくノータッチ。12/24頃に大学と地元の図書館で関連図書を借りまくって、一週間で本読み、一週間でテキスト書いて、で、1/8の卒論提出期限に間に合わせた、という。当日五時が提出期限で、その日の三時までテキスト書いていたという超タイトロープっぷり。テキストも、規定枚数下限ぎりぎりの原稿用紙換算50枚ジャストだったと記憶している。
 タイトルは「日本の荒ぶる神と英雄譚、その変容」とかなんとかだったかなー、四月に顔合わせしてそれっきりな担当教官の著書を随所に引用した、実に媚びまくった卒論だったと記憶している。どうみても「まこ、必死だなww」という粗製っぷりで、ほんと、2月頭の口頭試問まで、こりゃ無理かもなーと、かなりドキドキしたもの。
 こんなタイトロープなことを四年間ずっとやっていたので、今でも夢に見る。――というか正気の時でもちゃんと卒業したのかどうなのか不安になる。きちんとクリアしたという実感がない。あんた中退じゃないの?と。あんたのレベルでは中退が相応じゃない?と。いやいやいやいや。卒業証書あるし、大丈夫だし。