中島みゆき 「孤独の肖像」

孤独の肖像

孤独の肖像

 85年9月発売のシングル。二ヵ月後に発売のアルバム「miss.M」の先行シングルという形でリリースされた。
 77年の自身はじめてのヒットシングル「わかれうた」以来、このシングル発売以前まで、中島みゆきはアルバム制作とシングル制作を殊更に分けていたように思われる。アルバムでは既に毒々しさを強烈にふりまく曲や孤独の暗闇で咆哮するような曲、あるいは透徹した哲学や、壮大な物語を想起させる曲を発表し、彼女の個性を存分に発揮していた一方、シングルは、なるべく大衆的でわかりやすく、酒場の有線から流れてしっとり馴染むような、悪く言えば下世話で「歌謡曲」の典型たるような曲作られていたし、それらがアルバムに含まれることも稀だった。
 結果、「わかれうた」以来アルバムからのカットとなった「あした天気になあれ」を除いた全シングルが10万枚を超えるシングルヒットを手にしていたし、なかには「悪女」「誘惑」「ひとり上手」のごとく大ヒットを記録したシングルも生まれた。80年代前半までの中島みゆきは、アルバムアーティストでもあったが、シングルアーティストでもあったのだ(――このあたりが、シングルヒットは散発的であったユーミン・陽水との大きな違い)。そうした安定が、このシングルでついに破られる。前年ツアーの「明日を撃て」で、エレキギターを手にしたのをきっかけにはじまった「ご乱心時代」の初めてのシングルでもある。
 はじまりは深海の底のような陰鬱な空気が立ち込め、そこから一転激しくサウンドが鳴り始める。アレンジは後藤次利で、彼が当時Fitzbeatからリリースしていたソロアルバムのテイストに近い、工場の大型機械がガチャガチャと鳴り響くようなバキバキのインダストリアルサウンド
 「Lonely Face 愛なんてどこにもないと思えば気楽 Lonely Face はじめからないものはつかまえられないわ」
 そのサウンドをバックに感情を叩きつけるように荒々しく中島みゆきは歌う。どこか甘さややさしさの漂っていたこれまでのシングルとは一線を画している。
 特異なのが曲の構成で「Aメロ・Bメロ・サビ」が1セットになって、それの繰り返しで一番・二番といった歌謡曲のお約束を破壊。特に二番のサビ終わりと思った途端、シームレスではじまるもうひとつのパート「隠してこころの中〜」の部分は、圧巻。杉本和世・中山ミサの力強いコーラスに呼応するように中島は闇から這い上がり、光へと向かっていく。
 「悲嘆→激情→光へ」といった感情の起伏をドラマとして構成するといった佇まいで、六分弱という長尺ながら、すべて聴いてはじめて成立する作りになっている。通常の歌謡曲のごとくワンハーフに縮めるといったことを不可能たらしめ、結果それまでのラジオや有線でちらっと聴いただけで成立していたシングルとは、ここにおいても一線を画している。
 この曲、実は元々出来上がっていた曲をアルバムコンセプトや当時の方向性を考慮して再構成した曲なのだそうで(――元の曲は「孤独の肖像 1st」として93年のアルバム「時代」に収録された)、これらの試みは後の「夜会」にも繋がるアプローチともいえよう。
 既成のルーティーンな枠の中に感情を収めるのではなく、立ち上がった感情にあわせるがごとく自分用の新たな枠組みを作る――それが中島みゆきの世界だとわたしは思うのだが、今作以前の中島みゆきは、シングルにおいては、どこか既製品的なわかりやすさを捨てきれずにいた部分があった。それをここで脱ぎ捨てた。
 もちろん今作は最高6位・7.1万枚とブレイク以降では最低の売上記録し、また今作以降、現在に至るまで、シングルのセールスは大型タイアップ曲以外は低迷するようになる中島みゆきだけれども、以前のようにアルバムとシングルが分裂するようなことはなくなっていく。彼女がより彼女らしくあるためには、必要なシングルだったのだろう。