沢口靖子「Follow Me」

 カドカワ映画の大成功に触発されたのだろう、84年、日本映画界の老舗・東宝が、≪東宝シンデレラオーディション≫を開催する。そこでグランプリを獲得し、デビューしたのが沢口靖子。つまり、ざっくり言えば彼女は≪東宝薬師丸ひろ子≫だった。
 彼女のデビューに際しては社運を賭けた一大プロジェクトが練られていた、という。久方のリバイバルとなった東宝の看板映画「ゴジラ」のヒロイン抜擢にはじまり、三年連続のカネボウ春のキャンペーンガール起用(――85年春のキャンペーンソング「シンデレラは眠れない」はタイトルからしてオーディションとの連動が意識されている)、さらに朝の連ドラ「澪つくし」主演、と。東宝の大プッシュが奏効し、女優・沢口靖子は一定の人気と知名度を獲得するに到ったのだが、これだけではスタッフ一堂は満足しなかったのだろう。――と、いうのも彼女よりも尚一層の成功を収めた新人女優が同社にいたのだから。
 東宝オーディションで準・グランプリを獲得した斉藤由貴沢口靖子の売り出しに社内一丸となっていた一方、マネージャー市村氏をはじめ一部の「この子面白い」と思った面々が、少年向けグラビア誌やライバル社・東映とのタイアップを片手に、半ばゲリラ的に売り出し、よもやまさか沢口靖子以上の大成功を収めてしまう。デビュー期の斉藤由貴のアイドル女優としての成功は今更書く必要もないだろう。
 正統派女優で売り出した沢口靖子薬師丸ひろ子ならば、文化人やサブカルメディア界隈に愛でられ、書籍や自作詞など自身の感性とメディアを器用にリンクさせた斉藤由貴はいうなれば≪東宝原田知世≫だった。
 本丸たる映画においても、沢口靖子が「鹿鳴館」「竹取物語」と企画段階からして社内のお偉いさん向けとしかいいようのない視聴者不在の大作に出演し、いまいちに成果を残さなかったのと比して、斉藤由貴は「恋する女たち」「トットチャンネル」と背伸びしないアイドル映画に主演し、確実なヒットを残していた。
 これを横目に見ていた沢口陣営が果たしてどう思ったのか。重厚長大なオヤジ向けばかりでなく、若者向けのライトタッチの現代ドラマに出演させ、さらにタイアップで歌も売り出してみよう。さながら斉藤由貴のように。そう思ったのではなかろうか。
 ――というわけで、伝説の「Follow Me」リリースに繋がったのではなかろうかと、物凄い前置きの邪推。
 88年2月発売、作詞・川村真澄、作曲小室哲哉、編曲・大村雅朗。主演ドラマ「痛快ロックンロール通り」挿入歌。
 曲だけなら、もうこれ、間違いなく傑作。この青臭い歌詞、このわかりやすい小室転調。「My Revolution」風という発注があってコレ、ということなのだろうけれども、確実に売れ線。タイアップ含めて歌以外は全てが完璧なプロダクト、渡辺美里がシングルで出していたら大ヒット間違いなしってなもんですよ。
 が、沢口靖子の歌唱が、何もかもを破壊。
 靖子はポップス界のゴジラや。靖子が曲の何もかもを踏み潰し薙ぎ倒していく。ああ、ああ。これほどお経という言葉の似合う歌手は彼女以外いないんじゃなかろうかという。あるはずの、音程が、リズムが、ない、ないんだよ……。
 これをドラマ内でドヤ顔で歌い(――ゴクミと靖子で「ロックンロール」って、ホント誰か止めなかったのか、この設定)、さらに「夜のヒットスタジオ」「ミュージックステーション」でも出演して歌う靖子。毎回毎回放送事故レベル。なんなんだ、誰が得するというのだ。
 もうさ、ひっそりと出してまったく売れなかった数枚のシングル(84年のデビュー以来、年1〜2枚のペースでシングルを出してはいた、オリコン100位圏内すら入らなかったけれども)で結果はでていただろうに、何故敢えてタイアップつけて歌番組にでまくるという大勝負に出たのか。 
 曲も歌下手でも誤魔化せるフォーキーなスローバラードにすれば大事故にならなかったものの、よりにもよってなぜリズム感命、みたいな小室節に挑んだか。なーぜー。無論、流石にこれで思い知ったのか沢口靖子のシングルはこれにて終了。
 その後も、斉藤由貴の呪縛があったのか、東宝は若手女優の売り出しに、その歌唱力では無理だろ、という素材にまで歌を歌わせて撃沈させるという悪い癖があったんだよね。その後の越智静香とかさ。んでもって、東宝系音痴女優って、本人がこれまたすっごい真面目に全力で歌うんだよ。テレとか斜に構えたりとか一切ナシ。社風なのかなぁ。
 本人からしてみたらただの大怪我だけれども、今となっては、動画サイトの燃料となってみんなの明日の元気に繋がっている気がしないでもないから(――音痴過ぎる歌って、時になんか元気になったりしない?)これでいいのかな、と思ったり。こういう音痴すぎる歌手の無茶すぎる歌が平然とテレビから流れていたのも、昭和って感じだよね。