近藤真彦 「ざんばら」

 昨日の「金スマ」の放送の影響か自サイトに6000人ほど訪問者がいたので、あえて扱おう。
 2010年2月22日発売の近藤真彦の30周年記念シングル。89年、近藤真彦宛に「是非歌って欲しい」と作詞家・川内康範が提供した詞「ざんばら」、それに別々のメロディーをつけて「恋ざんばら」「心 ざんばら」としている。曰くつきの一曲といってもいい。20年以上ストックされていた理由は「当時はあまりにも生々しい内容で歌えなかった」と。
 89年と言えば、近藤真彦中森明菜の自殺未遂事件に振り回された因縁の一年、詞はまさしくそこを突いている。
 愛しあう男と女、しかし女は死に男は残される。男は煩悶する。諸共に墜ちてしまえという甘い死の誘いと死んでたまるかという現世への執着。片割れを失い決して昇華されることのない泥沼の愛欲に男は狂う。これがこの歌の世界だ。
 これは川内康範が68年に森進一に提供したヒット曲「花と蝶」のバリエーションと見ていいだろう。
 「蝶が死ぬとき 花が散る」「花が散るとき 蝶が死ぬ」春爛けるある一日、蜜にまみれた花と蝶の情死体――。しかし花が散るときに蝶が死ねなかったら……、そういう歌といってもいい。
 そしてこの歌の近藤の「死んでたまるか」の部分は、中森明菜の「難破船」の「あなたを海に沈めたい」に対応する可能性がある、ともここではいってしまおうか。
 とにかくこの歌は、現世のしがらみにどうしようもなくなり一緒に死ぬしか選択肢のなくなった男女のどろどろにもつれ合った心中の、しかも自分だけ生き長らえてしまった惨めな男の歌なのだ。
 川内康範の詞は、近松の世話物にも通じる情死の美学がただよっている。愛欲の最中、ぐずぐずと蕩ける砂糖菓子のようにもつれ合い崩れあっていく男女の肉と魂、死という形であらゆる矛盾も障害も愛憎も、昇華されてゆく。女郎や丁稚の「奉公」もタレントの「プロダクションとの契約」もさして変わらない、川内康範はあるいはそう思ったのかもしれない。
 それを近藤のスタッフは86年の近藤真彦の実母の死去と、その翌年の音楽賞レースに端を発した実母の遺骨盗難騒動に、わざわざミスリードしようとしている。可愛くないなぁ。余計な話をせずに黙って歌えば――わかる人だけにやりと笑って、いいねと言えただろうものを。
 それに森進一の「おふくろさん」のミスリードを絶対赦さなかった川内康範がもし今でも存命であったなら、決してこのような意図的なミスリードは赦さなかっただろう。
 「親子愛の歌なんかじゃないよ、この歌は。マッチ全然わかってないね、あんたがあの時惚れてた女との歌だよ。わからないなら返してもらおうかね」
 そういってもおかしくない――が、実はマッチは案外わかってて、そしてそのように歌っているのかもしれない。
 ここ20年近く、後輩の番組をバーターで時々出演するだけで、歌手とも俳優ともレーサーともつかないどっちつかずの存在意義の希薄なタレントとなっていた近藤真彦だが、この歌を歌う彼には久々にスリルがある。自らに鋭く切り込んで表現したものだけが持ちうるエロチシズムといえばいいのだろうか、相変わらず上手いとはいえない歌唱なのだが、ぐっと水際立っている。いい。「愚か者」や「青春」「アンダルシアに憧れて」「泣いてみりゃいいじゃん」といった曲を歌っていた頃の彼がちらりと見える。あの頃手放したピースを再び彼は手にしたのかとすら一瞬思える。
 わたしは、表現という名においてすべてを衆目に曝すことができる者こそが、喝采というオマージュを浴びることができるのだと思っている。すばらしさや美しさだけではない、惨めさやだらしなさ、怯えや傲慢など、人として持ちうる拭えない汚点をも曝し、それでも毅然として舞台に立ちつづけた者だけが喝采の資格を得るのだ、と。
 そして、そういう意味において近藤真彦は89年のあの時、舞台から降りてしまったのだ、とも思っている。無邪気に無防備にすべてを曝して嘘のない――だからこそ輝いていた80年代の近藤真彦は、自らに口を濁らせ蓋したあの時死んだのだ。ゆえに以降20年近くわたしは彼を冷笑とともに見ていたのだが、さて。彼は再び本気で舞台に立つ覚悟を決めたのか、否か。
 あえてそれをさらすメリットは――芸人としてはつまらないことだが――ビジネス的観点から言えば今の彼にはまったくない。だからそのようなことはないとは思うのだが、もし万が一それをするというのなら私は彼を応援する。