松田聖子 「Precious Heart」

 89年11月発売のシングル。25作目のオリコン1位を挑んだシングルだが、結果は二位どまり、彼女の一位連続記録がとうとうここでストップとなる。まさしく運命の一曲。松田聖子のセカンドステージの幕開けといってもいい。作詞は松田聖子本人、作曲は奥居香



ねえ 聞いてね 私の大きな夢
誰にだっていえなかったけれど…
今は素直な気持ちで打ち明けるわ
ほんの少し恥ずかしいけれども…
心の奥に燃えているものは
世界中にメロディ 届けることなの


 この年、松田聖子はデビュー以来の所属事務所サンミュージックから独立し、翌年の全米デビューの準備に入る(――それに前後する形で様々なスキャンダルが噴出したが、それは余話)。それを知って歌詞を見ればあまりにも一目瞭然、つまり松田聖子がファンに向けて「世界デビューの夢に賭ける私を応援してね」という、それ以上でもそれ以下でもない。アメリカデビューの成功にはあなたの愛がとても必要よ、だから応援よろしく、と。
 今作以降の、セカンドステージの松田聖子の歌の世界はものすごく乱暴に言えば、全部こんな感じ。歌の主人公は「松田聖子」以外の何者でもなく、聞き手は「松田聖子」という存在を愛してやまぬファンにのみ限定されている。
 好意的に解釈すれば、私の言葉で私の思いをそのまま歌にして、ファンのみんなに届けたいということなのやも知れない(――このあたりの素朴な直接性は意外と70年代のフォークシンガーっぽいなとも思ったりする)、とはいえそれは、教祖と信者の縮小再生産の閉じられた祝祭に過ぎず、かつてのダイナミズムが色褪せてしまったのは事実だ。匿名的な恋愛風景を普遍的な「もののあはれ」へと昇華させた松田聖子の圧倒的な歌唱表現は、彼女の自意識に埋もれ、以降、見られることはない。

 ちなみに――。今作のオリコン1位を阻んだシングルは小室哲哉「GRAVITY OF LOVE」(Epicソニー)。これは彼の初のソロアルバム「Desitalian is eating breakfast」に先がけて三枚連続シングルリリースを行っていたうちの第二弾シングル。アルバムに先行してシングルをごそっと切る後の小室戦略を彼がここで初めて行ったという点も趣深いのだけれども、どうもこのシングル自体は、小室サイド的にはさほど勝負シングルではなかったようで(――第一弾の「Running to Horizon」の方が「シティハンター」OP曲に起用させて「Get Wild」再びを狙ったりと、勝負していたっぽい)、「Precious Heart」の二日後にわざとずらして発売している。週間集計にハンデを与えて松田聖子になんとか1位を取らせようというソニー系列内部での政治的配慮が想像できるが、週間初動「GRAVITY〜」が5.0万枚、「Precious Heart」3.8万枚、という結果に。聖子の前シングル「旅立ちはフリージア」の初動が6.2万枚、そのさらに前の「マラケッシュ」が5.1万枚だったので、予想外の人気低下がなければソニーの計算通りだったのだろう。
 更にちなみに――。小室連続ソロシングル第三弾「CHRISTMAS CHORUS」では今度はやはり同じソニー系列の南野陽子「フィルムの向こう側」とバッティング。ここでも同じく小室が二日発売日を遅らせ、結果こちらは南野4.8万枚、小室4.1万枚で、計算とおり?に南野が一位を獲得している。