SAYAKA 「Doll」

Doll

Doll

 02年、松田聖子の娘として鳴り物入りで「ever since」でデビューしたもののいまいち成果があげられず、契約消化的にひっそりと出された神田沙也加(SAYAKA)の05年のファーストアルバム。タイトルが意味深。「私って結局ママのあやつり人形にすぎないのよね」という彼女の呟きが聞こえてきそう、といったら穿ちすぎか。
 アルバム全体のテイストは、彼女が松田聖子と一緒にバラティー番組に出る時のあの感じ。無邪気にはじけるママに気づかれないぎりぎりのところで絶妙に引きつつ居心地悪そうにしつつ、でも周りから視線が集まったらにっこり、みたいな。
 私はママとは違うけれども、でも私はママの娘としてしか存在意義ないし、ママみたいにふるまえば良いのだろうけれども、でもでもでも……。自らの中にある松田聖子的なのものを受け入れることも、反発することもできず、ただ戸惑いながら佇んでいる。そんな反抗期すら迎えられない「いい子」の悲しみといったらいいのか。わたしはママとは違う、という主張もそこここに感じられるのだけれども、松田聖子の引力には勝ち得ないことをあらかじめ悟っているような弱々しさ。
 サウンドソニー謹製で、八〇年代の松田聖子の世界を現代的にリファインさせたとしたら、といった佇まい。彼女自身の手による詞の、内面に向かう眼差しやその閉塞感は明らかに松田聖子の自作詞とは一線を画しているけれども、今、聖子風の歌手がデビューするとしたらこんなかなと、いうテイストでもあったりして。自らの作詞・作曲に傾倒してどうしようもなくなった現在の松田聖子本人よりも、ある面ではずっと、かつての松田聖子のコンセプトにのっとった作品に仕上がっている。ポップで耳ごごちのよくって可愛らしく大衆性と同時代性があって、BGMにぴったりっていうね。――が、中心にいるSAYAKAが弱々しすぎる。精気がなさすぎる。大衆の欲望の鏡である歌姫を担うには、あまりにも頼りないし、腹を括っていない。これでは自分だけの贔屓筋は出来まい。松田聖子のファンがお義理で買ってあげるだけだろう。
 とはいえ、この弱々しさって、SAYAKA本人だけの問題にとどまらず、「親の世代が甘い汁を残らず啜って勝ち逃げして、その子供達が疲弊している」という今の日本の若者とその親達の雛形にも見えたりして、といったらこれまた穿ちすぎ?
 パパやママたちがやりたい放題やり散らかして、うちらのやることなんて残務整理くらいでしょ、っていう。そんなぬるま湯の絶望感。生まれた瞬間から青春も未来もなかった、みたいな。
 このアルバムの発表のすぐ後に彼女は休業。しばらくの潜伏の後、本名に名を戻して、ミュージカルに活路を見出すことになるけれども、それは次の話。