「プールサイドに3Bステドラーをくれ〜売野雅勇の世界〜」田中良明

 作詞家「売野雅勇」のに関する本。1984年に出版。旺文社。著者は田中良明。この人は、当時のワーナー・パイオニアの明菜担当の宣伝部員であり売野雅勇と個人的にお友達でありって人ね、ってわけで、結構明菜関連の話がちらほら出ている。
 この本、タイトルからわかるように、わたせせいぞうハートカクテル的というか、カフェーバーでクリスタル的というか、当時は最先端を気取ったのだろうが、今となっては嵐山光三郎クラスのハズカシ文体がもう満載でさ、読みながら思わず本放り投げたくなる瞬間が多々あるわけだとけれども「言葉がサウンドし始めた。原稿用紙の上で文字がディスコティークし始める」とかさ、ホント悶絶、読みながらこれちょっとした罰ゲームよ、っていうそれはそれとして。
 結構売野雅勇からみた「中森明菜」像が、へー、これ、なかなか、正鵠を射ているな、と。84年段階であれども、こも十分中森明菜をど真ん中で射抜いている。以下売野氏から見た明菜評の抜粋(+ちょっと要約)。

「過激でナイーブ。優しくて冷たい。いつも相反する個性が見える。この両極端のふたつの相反する個性がいつも絡まりあいながらひとつのバランスを作り上げている。それは不安定な安定だ。だからどんな鋭い詞を口にさせてしまっても、驚くほど安定感があるし、逆にまた、とても優しく伸びやかな詞を歌ってもどこかさびしさが漂う」
「(明菜から)生きることに対するデリケートな激しさを感じた」
中森明菜は、歌世界における最高のアクトレスだ。いつか阿久悠さんが自分の書いた詞を一番裏切り、別な世界にしてしまうのが沢田研二だといった。僕にとって中森明菜がそうだ。彼女は僕の創り上げた詞の主人公を見事に演じ、脚本以上の映像を作ってしまう素晴らしきシンガー・アクトレスだ。」

 ね。納得でしょ。また売野氏はこうとも言っている。
「実際の彼女はナイーブで、僕が「少女A」という歌詞を書いてしまったことを恨んでいるかもしれない」
 売野ちゃんわかってるじゃーん(なぜか上から目線)。思いましたよ、わたしは。ええ。
 中森明菜×売野雅勇のコラボって、キャッチの強いシングルがメインで、そうなるとコピーライター出身の売野雅勇は勢い言葉のエッジの効いた、きっつい詞ばかり明菜に提供することになってしまったわけだけれども、もしかしたら、このコラボでじっくりアルバムを作ってみたら、またシングルとは違う味わいのある、いい作品が作れたのかもなーと。80年代中期の河合奈保子の一連の作品みたいなね。 「ファンタジー」とか「エトランゼ」とか凡作作るくらいだったら、全作売野作詞のアルバムとか、作ったれよワーナー、といまさらながら。んでもって、今の明菜にだったら、売野氏はどんな作品を提供するかな、と。
 明菜以外にも、河合奈保子とかマッチ、ラッツアンドスター、チェッカーズなど、提供歌手の人物評があってそれがなかなか興味深いんでそれぞれのファンの人でちょっとよんでみてもいいんじゃないかな。って、なかなか読める機会ってないだろうけれども。
 実際会ってみてどうこうというギョーカイの横のつながり云々というエピソード披瀝でなく、歌手の存在そのものに焦点を合わせて語っているので、品があってよろしいのではないかと。
 あと、売野さんの歌詞の無理目ルビ振りの悪癖(といってもいいよね)は、コピーライター時代に身につけたものと知ったのも収穫かな。昔のLPレコードの帯にはちょっとハズカシめのコピーがよく書かれたじゃない。アレ作ってて、その流れで作詞家へ、ということらしい。
  あ、あと関係ないけれども、この著者の田中良明さんってさ、多分「D404ME」のボディーコピー考えたんじゃないかな。ニューヨークのソーホーでママのサンドラが云々ってアレ。確証まったくないけれども、文体に同じ恥ずかしい匂いがした。
 さらにちなみにこの田中さん、90年に「抱きしめて!サザンウインド」って少女小説かいてたりしてます。ここは笑っていいところだよね。