「孤独の研究 中森明菜とその時代」に関しての雑想

 週刊ポストで連載始まった安田浩一さんの「孤独の研究 中森明菜とその時代」、一応目を通しているのだけれども、第三回では早くも彼女の家族の話になだれ込んできて、中森明菜のパーソナルな部分をメインとした話になってしまうのかなぁ、とちょっと残念な気分なわたしですけれども、皆さんはどう読んでますか?
 こういう部分って、結局のところ深く追求していくと、ただのゴシップ記事になってしまうわけで、この手の記事なら彼女の全盛期にいやというほど読んだわけだし今更というか、とはいえそもそも掲載が週刊ポストなんだから、こういうこという自体野暮なのかもなぁ、でももうちょっとなぁ。「存在」としてというよりもまず「歌手」としてという部分を……。とぐねぐね。
 うん、ま、難しいんですよね。中森明菜を語るってのは。わたしも以前「中森明菜 歌姫の軌跡」を書いたとき、彼女のパーソナルな部分にどこまで踏み込むかという、そこは一番迷ったもの。
 あくまで「歌手・中森明菜」を語る本というコンセプトに据えたものの、とはいえ彼女の場合、生き様と表現が不即不離である部分があまりにも大きすぎて、全く触れないというのは嘘になってしまう。とはいえ他人のゴミ箱をあさるような品格に欠ける真似は、彼女のためにも自分の誇りの為にもしたくない。
 なにより中森明菜の場合、本人が家族やかつてのメーカー・プロダクション関係者、かつての恋人に対して触れることを忌避している場面がメディアからも散見されたし(――後の「夜ヒット」「ベストテン」ボックスでのオミットぶりからも顕著だものね)、下世話なマスメディアと強い対決姿勢を見せていたのも知っているし(――実際裁判沙汰にもなったし)。
 「歌手・中森明菜」へ敬意を汚すことなく、どこまでなら踏み込めるか、崖っぷちのぎりぎりをタイトロープをしながら書いたという記憶が、今でも強く残っている。1989年以降の下巻は本当に魂がすりへった。
 私の本が上手い形で着地できたのかどうかはわからないけれども、ともあれ「孤独の研究 中森明菜とその時代」も、できれば「歌」をメインに据えてほしいなぁ。と。どんな家庭に育ってどんな子供時代で、というのは脇に置いて。ファンとして知りたいのはそういう履歴書に書くような生い立ちではなく、「中森明菜は何を歌ったのか」「中森明菜の歌はなんだったのか」というものだと思うのだけれども。そんなもんわかりゃしねーよといわれりゃそれまでですがね。
 ちなみに。どうでもいいけれども、1982年段階で加藤和彦はすでに大物ミュージシャンでプロデューサーですよ。「中森明菜のデビューシングルプロデュースで加藤和彦も大物に」て。いやいや、すでに超大物でしょ、この時期の加藤さんは。この安田さんって方、音楽関係はあんまり詳しくないかもなぁ……と直感。
 もっとちなみに。「中森明菜デビューシングルに加藤和彦プロデュース」。これ、半信半疑なれども、企画としてはあったのかもなぁと、私は思っている。この時期のワーナー所属アイドルで言えば、武田久美子「噂になってもいい」とか岡崎由紀「Do you remember me?」は加藤和彦ワークスだし。そもそも加藤さん自体ワーナー所属だものね。
 明菜ファンの多くが気づいてないから言うけど、「歌姫」シリーズのスーパーバイザーの佐々友則さん、この時期ワーナーの加藤和彦担当でアルバム「うたかたのオペラ」録音で一緒にベルリン行ってますから(歌詞カードよく見てみて)。
 ぶっちゃけ、加藤さんの作ったの明菜のデビュー曲、テクノポップだったんじゃないかな。当時の彼の傾向からしてね。でもさ、プロダクションの研音は明菜と同時進行で、松本+細野コンビによるテクノアイドル「スターボー」のデビューも予定していたわけで、しかも当時の明菜と顔のよく似ている伊藤つかさ加藤和彦の歌歌ったりなんかもしだしたりして(「夕暮れ物語」)、諸々の被りを避けるために早い段階で没企画となったんじゃないかな、と。
 ま、ともあれ、中森明菜加藤和彦、コラボしなくってよかったのでは、と私は両者のファンでありながら思っている。だってさ、加藤和彦って、歌の上手い女性歌手のプロデュース、ことごとく失敗してんだもの。梓みちよくらいでないの?上手くいったの。中山ラビとか宮本典子とか、たいがい素材抹殺の強引プロデュースですよ。もし加藤プロデュースでデビューしてたら明菜は大物にならなかったと私は予想するね。