売れなくなった中森明菜の話の続き

 というわけで、売れなくなった中森明菜の話の続き。
 先日のエントリを読んだ鋭い方は「つまりまこりんは売りに焦るよりも売れないことを前提したビジネスモデルを考えるべきっていいたいわけ?」とお思いだと思いますが、まあ、実際そういう話をこれからするわけなんですけれども、とはいえもちろんその一方で、そんなにカバーアルバムで売りたいなら「オリビアを聞きながら」とか「PRIDE」とか「恋におちて」とか「サイレント・イブ」とか「Tomorrow」とかアラフォー女子のカラオケ御用達バラードを集めたカバー出せばいいのに、とか、CGジャケットにするならいっそ「きまぐれオレンジロード」のまつもと泉にイラスト描いてもらったら話題性がもっと上がるのに、とか、おもっくそ下世話でくだらないことを考えてたりもしてるんですが。
 でもね、中森明菜の歴史を振り返って考えると、いわゆる売上の梃入れが見事に成功したためしって、ほとんどないんじゃないかなーと思うのですよね。
 ブティックJOYのCFの「月華」しかり、連続ドラマ主題歌の「帰省」「オフェリア」「花よ踊れ」しかり、割と不発気味。
 よしんばその時は成功しても次に繋がらないわけで、事件後の復帰で爆発的に売れた「Dear Friend」や「二人静」、また02年のアルバム「歌姫2」なんてのは顕著な例で、25周年で色々と出したベスト盤もそうかな。ただ、あれはいつもより売れたね、で終わっちゃってて、それを次に引っぱっていけてない。
 もっと考えてみれば80年代の全盛期においても、大型タイアップ起用による梃入れというフツーのパターンはまったく使わなかったし、アルバム梃入れで珍しく発売時期にあわせて各歌番組で歌披露までした「Femme Fatale」に到っては、当時のオリジナルアルバムでは最低売上になってしまったり、唯一梃入れらしい梃入れで大成功したのは「DESIRE」くらいなんじゃなかろうか、と。
 「まず衆目を集めてから……」っていう手段は、中森明菜の場合、点で終わって線にならない感じがするんですよね。本人の志向っていうのも相俟ってね。
 ――てわけで売れないなりの今ある6000の数をキープしつつこれを、三倍、五倍するのを目標にしたビジネスモデルを考える方がいいんじゃないかなーと、私は思うのですね。明菜世代の潜在的な数十万のユーザーに色目を使うよりもね。――って、これ、ものすごく大きなお世話ですね。まぁ、いいや続けちゃおう。
 ではどうすればいいのか。ほぼ毎年アルバムをリリースして、かつコンサートツアーを開催している、中森明菜よりもキャリアの長い、かつアルバム売上の低いアーティスト――それが参考になるとおもうのですね、
 んで、私がよく知っている人だと沢田研二加藤登紀子谷山浩子、この三名がそれに該当するかな、と。
 これをちょっとケーススタディーとして抽出してみますね。

【ケース1 沢田研二

・85年より個人事務所
・アルバム売上、90年以降3000枚前後
・楽曲は三〜五割は自作・残りは作家への発注、インディー転向によって自作率は増。
・95年以降は完全セルフプロデュース。02年よりインディーズリリース。
・毎年50ヶ所近くの全国ツアーに、特別コンサート、トークライブ、事務所主催自身主演の舞台公演などあり。
・ファンクラブは無料、そのかわり会報は情報メインでシンプル。ファンクラブ専売のコンサートDVD、CD、BOXセットなど多数販売。
・音源制作の費用は大手メーカー所属時から事務所からの持ち出しと本人が発言。曲作りは赤字、CMや映画、舞台で稼いだ金で毎年新曲を作っている、とも。
・歌番組出演は新曲披露がない限り極力しないスタンス――よって、滅多にテレビに出ない状況。

【ケース2 加藤登紀子

・73年より個人事務所
・アルバム売上 79年よりほとんどの作品がオリコン100位以内ランクインせず。2000枚以下か?
・楽曲は自作とカバーが約半数ずつ。カバー曲は有名無名織り交ぜている。知り合いのミュージシャンにも時折発注。
・基本セルフプロデュースだが、様々なサウンドクリエイターがいれかわりの共同作業で音源制作。
・99〜01年の短い間、自主レーベル――販路は大手メーカー、でリリース。それ以外は大手メーカー所属。
・コンサートツアーは毎年50〜100ヶ所以上。各種イベントにも多数出演。コンサート終了後にはサイン会――という名のアルバムの手売りを毎回行っている。
・テレビ出演は歌以外でもあり、歌よりむしろ情報番組のコメンテーターとしてみる機会が多い。歌のほか、社会運動家としての活動も。
・ファンクラブは充実。会報ではファンとの交流を密にしており、ファンクラブ専売のCD、DVDもある。

【ケース3 谷山浩子

・77年の本格デビュー以来ヤマハ所属。レコードメーカーもずっとヤマハ系で大手所属。
・アルバム売上 96年より3000枚前後。
・楽曲はほぼ全て自作。プロデュースは80年代後半より石井AQとの共同。
・96年以降、本人のピアノの弾き語りに石井AQのシンセのみというシンプルな音源が増えている。
・90年代は観客が101人の「101人コンサート」、現在はバッキング一切なしのライブハウスツアーを敢行。毎年30ヶ所前後。
・コンサートは観客のその場のリクエストのみで構成されたものや、ゲームコーナーを設けたものなど、アットホームな雰囲気を売りにしている。その日の気分でセットリストを変えることもままあり。
パソコン通信を端緒に80年代後半からパソコン・ネットを介在したファンと本人との交流がとても密。
・テレビは避けてはいないが、20年近くオファーがほとんどない状態。

ずらずら列挙して、眠くなっている人が多いやもしれませんが、これらの共通点をつまり、

・コンサートが多い
・ファンとの交流が密

これに尽きると思うのですよね。会って歌っておしゃべりするっていう機会をとても多く設けている。あのジュリーですら、ファンを集めたトークイベントをやってたりするわけで。活動のベースをファンクラブにおいていて、いい意味でファンを囲い込んでいる。あとさらに言えば

・アルバムの制作を、利益に見合ったスペックダウン、あるいは赤字の補填や、積極的な販促活動など、様々な対策をとっている。

これもあるかもしれない。売れないアルバムを作るためにジュリーは他でお金稼いで補填し――それでもインディーズになって以降はいささか音が薄くなっている、谷山浩子は打ち込みとシンプルな音作りで制作コストを抑えるようにみえるし(――弾き語りに訴求力の強い彼女だからできることだろうけれどもね)、加藤登紀子はインディーズで出したアルバムでもロスやらウィーンやらの海外録音を敢行したけれども、そのかわりコンサートの後に自らCDを手売りしている。
もちろんこれらは、そういったことを可能にする側近スタッフとの強固な信頼関係という前提があってのことなのだろうけれども――。

んで翻って、中森明菜にこれができるか、ということなのですが……、んーー、どうでしょう。
ホテルの大会場でファン相手にトークライブしている明菜様も、twitterしている明菜様も、ライブハウス回りしまくっている明菜様も、全然イメージできないわ。わりと放置プレイ気味のファンクラブから見ても、そういった方向に今後中森明菜がシフトしていくとは思えない。
考えてみれば、ここに上げているお三方、ライブ大好き、歌作るの大好き、そもそも人が大好きってメンタリティーなような……、もちろん飯の種という意味合いもあるんだろうけれども、本質的に売れる売れないに関係なく「新作を作りたいから作ってる、ライブをしたいからしている」そういうスタンスなわけで、結局アーティストのメンタリティーに拠るのか、こういうことは。
ううむ。
ってわけで、CD売れなくてもライブとファンクラブ活動を活発に行っていれば、なんとかなるけど、それができるかどうかは本人とまわりの人間の考え方やら性格やら次第っていう、身も蓋もない結論になってしまいました。
私個人の意見で言えば草の根的な活動で自分のやりたい音楽をやっている中森明菜ってのも、いいんじゃないかなーと思うけれどもね。
20年ぐらい前の、テレビの中にいた豪華絢爛な中森明菜ってのもそりゃ素敵だったけれどもさ。
以上、ファンの愚考。