小泉今日子「原宿百景」

原宿百景 (SWITCH LIBRARY)

原宿百景 (SWITCH LIBRARY)

 小泉今日子が、原宿にまつわるエッセイを書いたり、原宿のオシャンティーなスポットで写真撮ったり、オシャンティーな文化人と原宿談義したり、そんな本。全体的に惜しい。何が惜しいってあふれ出る老いたサブカル臭が。
 小泉の自らの過去を振り返るエッセイパートはなかなかいい味出してる。厚木の不良少女時代だとか、両親の別居・離婚だとか、同僚アイドルの死だとか、昔つきあっていた恋人とその親だとか、今まであまり開示しなかった個人的な出来事を、うまくさばいている。下手すれば、生々しくなりそうなテーマも扱っているのに、みっしりと湿った感じがない。距離感がほどよくて文の間に風が吹いている。ゆえに読後が爽やかだ。いわゆる幻冬舎的な「自己開示系タレント本」としていい線いってんじゃないかな。
 とはいえ、原宿で撮影したオシャンティーなお写真だとか、知り合いのサブカル文化人との対談とか、これがもー、心底どうでもいー。
 住んだことのない町の「あそこの店はどうちゃら」とか「あの時はここでたむろっていた」とか「昔この店はこんなだった」とか、その情報って、私の人生のどこに必要とされるわけ? 三十路一直線の私に一切いらない無駄知識ッ。最初、アホみたいに口あんぐりして、後になんかイライラして来るっていう。読みながら、思わずマツコ・デラックス的に怒りつっこみしたくなってくるわけですよ。
 まーさ、こーゆーのって、都会とかギョーカイにあこがれる田舎者のための情報であって、それそこ小泉と原宿が輝いていたサブカルメディア全盛の80-90年代にはキラキラしたモノだったのだと思う。でもさ、いま、2013年よ。ぶっちゃけ、無理。
 雑談内容も煎じ詰めていえば「俺たちあの頃輝いていたよな」てなサブカルジジババの養老会的茶飲み話てのがほとんどだったりして、90年代に小泉が知り合った人たちの多くが終わってしまってるんだな、という印象しか、私は持たなかったな。
 マスメディアは衰退し、サブカルは古ぼけて老いた。んでもって、ギョーカイが求め作り上げた「小泉今日子」という偶像もずいぶん錆びてしまったなぁ、と。
 とはいえ、エッセイからは、偶像ではない一個人の小泉今日子は今でも生きていて、前に進んでいて(−−アイドル全盛時にこの文章は多分書けなかったと思うよ)、きちんと自分を表現していているというのが感じられ、むー、惜しいな。
 おそらくエッセイの部分の彼女の本質にある良さと、写真やら対談やら、周りを取り巻く包装紙的な部分の残念なギャップが「小泉今日子」を取り巻く現状なのだろう。 本人はそんな立ち位置、嫌いでもなさそうな感じもするのでこれでいいのかもしれないけれども。さて。