佐藤隆 「石の枕」

石の枕

石の枕

 12.10.10発売。佐藤隆の久々の純然たるオリジナル・アルバム。前作のセルフカバーアルバム「En」はレコーディングアーティストとしてはまだ本調子とはいえないかなぁと思ったけれども、これはいい。裏ジュリーと言ってもいいんじゃないかな。現在沢田研二が自主レーベルでやっている音楽と色彩はかなり近いんだよね。
 それはこの作品が、沢田とも関連の深い故・大口広司(ex.PYG テンプターズ)と故・中井國二(ザ・タイガースのマネージャー)へのレクイエムという意味合いも多分に含んだ作品であるからというのもあるのだけれども、それ以上に、音楽に対する距離のとり方ってのがね、似ているな、と。
 コマーシャリズムとはまったくかけ離れたところで、ただひたすらいい音をいい歌を作っていこうっていうスタンス――ギター覚えたての少年のような、シンプルでまっすぐな音楽への愛があるんだよね。純朴であったかくってやさしい。老境に達した一人のミュージシャンの純情が面映い。
 サウンドコラージュが面白いコミカルな「クロマニヨンの女」が一転、自らの実存に迫ってシリアスなタイトル作「石の枕」が今作のハイライトか。「俺は石の枕に眠る」この絶唱には乾いた死の臭がする。これは西行の「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」にも近い。
 そしてラストを飾る「みんな元気かい」。これは涙を禁じ得ない。もう空の上に行った奴も、生きているふりをしてるだけの奴も、「みんな元気かい」。やさしく肩を揺さぶられるかような生の応援歌だ。辛いことも苦しいこと色々あるけれども、生きている。せいいっぱい生きている。それでいいのだ。それだけでいいのだ。
 「桃色吐息」をはじめとしたヨーロピアサウンドに傾倒していた頃の彼をイメージして聞くと、落差を感じてしまう人も多いだろうけれども、これが彼の到達点にして原点なのだろう。傑作といっていい。

リスペクト?インスパイヤ?

うーん。野暮なことだし、随分昔に言ったようなことだと思うけれども、一応。
amazonレビューとか、2chとかの匿名掲示板とか、個人ブログやSNSなどで、
「え? これ私の書いた文章でない!?」
と、思うことが。コピペなら一目瞭然ですけれども、すっごく似てっけどただの偶然で、私の自意識過剰かな―、どうかなー?なんてのもちらほら。インスパイヤ? 昔っから多いっちゃ多いんですけれども、いっとき収まった感がしてたのですが、また、増えてきた印象。「まこさんの新しいサイト?」なんて聞いてくる読者さんもいて紛らわしいので、一応言っておきます。
自サイトをダマテンで移転したり、別名義複数サイト掛け持ちしてステマ展開みたいなこたやりません。
借りてるサーバーが店仕舞いするまでひとまずわたしはここにいますし、ここ以外のところには(ネットでは)あらわれません、きっと。せいぜい、いいなって思ったところにコメントで「こんにちは」する位なんじゃないかなぁ。その時も変な匿名とか使いませんよ。アノニマスってあんまりわたしの主義じゃない。全く別のことやるなら話は別ですけれどもね、ゲーム攻略サイトとかさ。おんなじ商品置いてるのに別屋号とか意味わからん。
少なくとも音楽レビューをネット上で発表する時に、このサイトから離れるってことはこれからしばらくないんじゃないかなぁ。
そんな精神力も体力もないっての。amaのレビューなんて書きませんってば。だったら自サイト更新するっての。
無論、これってパクリレベルだよね?みたいなのをみかけるのは私自身あまり気分がいいものではないので、書いてる方はもっと自分のカラー見つけてほしいなと思うばかりですけれども、とはいえ音楽レビューする人は減ってほしくないので、私はひとまず生暖かく見守っています。好きでいてくれてるからインスパイヤするわけですし。ま、それで自分踏み台にして大ブレイクってなったら、話は別ですが。ま、とはいえ、インスパイヤしてる人はもっと頑張れ。

朋ちゃんが「DEPERTURES」をカバーする件について

 なんだかんだいって朋ちゃんウォッチャー、まこです。
 とうとう来たね。華原朋美カバーアルバム「MEMORIES -Kahara Covers-」発売。「恋しさとせつなさと心強さと」「DEPARTURES」「BRAND NEW TOMORROW」収録。

 http://www.universal-music.co.jp/universal-j/kahara-tomomi/news/2014/01/0111/

 今回の三度目の復活はどう客観的に見ても、華原朋美のラストチャンスだと思う。ゆえに、さすがに今回こそは本気で更生するのかと思った。過去を精算して綺麗に忘れるのかと思った。
 でも違ったんだね、朋ちゃん。どう言い訳してもこれはただ復讐の第一章。修羅道を歩むんだね、世間がうんざりしようがおかまいなしに、やりぬくのだね。
 ――と、一瞬遠い目になった私だけれども、ここまでくれば毒を食らわば皿まで。消臭剤のように他アーティストのカバー曲を突っ込んでいるけれども、小室哲哉への未練臭は全然隠しきれてないので、いっその事全編小室カバー、しかも小室哲哉が聞いて思わずゾッとするであろうフレーズが必ず入っている曲をセレクション、とかのほうが突き抜けてよかったと思うのだけれども、どうでしょ。
「許さないで/許してないから/憎むくらいに見つめて」(中森明菜/愛撫)とか、「たとえ5年たっても/10年たっても/君のとなりにいたい」(ムーンライトダンス/渡辺美里)とか、「卒業できない恋もある/木々の色変わるけれど」(卒業/渡辺美里)とか、 「あなたと死ねたら」(Wanderin' Destiny/globe)とか。小室さん、思わず家の戸締まりもう一度確認したくなること請け合い、っていう。
 彼女の小室哲哉への粘着って、ぶっちゃけ業としか言えないわけれども、とはいえそれが、小室哲哉・再評価という形に繋がるのなら、それはそれでありかなあと私は思っているんですよね。
 意外と埋もれている良質な小室楽曲は結構あるし、沢口靖子「Follow Me」とか、堀ちえみ「愛を今信じていたい」とか、原田知世「家族の肖像」とか、そういうのを逐一拾い上げて、今のサウンドとして磨き上げるという作業ができる歌手は、やっぱり華原朋美しかいないわけで。
 きっかけは私怨でも、最終的に小室哲哉の研究家という形で究めるのであればそれはひとつの芸だよな、と。逆を言えば、芸能の世界で彼女ができることってのはそれしかないともいえるわけで。無難なタレント仕事をこなしている朋ちゃんも、小室サウンドでない歌歌ってる朋ちゃんも、世間は求めていない。それは過去二回の復帰でわかっていたわけだから。
 ともあれ、小室サウンドと心中する覚悟を決めた朋ちゃんの今後に期待。

渡辺典子 「ベスト」

渡辺典子  ベスト

渡辺典子 ベスト

 角川三人娘の次女、渡辺典子のベストアルバム。84年のデビューシングル「少年ケニア/花の色」から、88年の「サラダ記念日」までのA/B面全てが収録されている。
 これが実に現在のところ初にして唯一のベストアルバムだったりもする。そう、角川女優としての実働期間には一切ベストアルバムでなかったんですね。85年年末に企画はあったもののポシャっている。
 この事実だけで渡辺典子の不遇ぶりがわかろうというものだろうけれども、厳しい言い方をすれば、その程度の需要しかなかったのが彼女。薬師丸/原田主演映画の配収成績が「探偵物語時をかける少女」28億円を筆頭に、「メインテーマ/愛情物語」18億円、「Wの悲劇天国にいちばん近い島」15億円という大きな実積をあげたのに対して、渡辺典子主演映画は「晴れ、ときどき殺人/湯殿山麓呪い村」4億、「いつか誰かが殺される/麻雀放浪記」5億、「結婚案内ミステリー/友よ、静かに眠れ」1.3億という結果なのだからして、むしろよく三作も主演映画を取ったなというか、諦めずにゴリ推し続けた角川春樹の胆力に感心してしまう。
 歌に関しても、日本コロムビア時代は阿木耀子・宇崎竜童夫婦コンビの強力なバックアップを得ているのだが、イマイチ魅力の力点が定まらない。本人イメージした主演した映画主題歌よりもむしろ「少年ケニア」「カムイの剣」「火の鳥」といった、カドカワの事情で都合良く起用されたに過ぎないアニメソングの方が曲が輝いてしまうのだから困ってしまう。セールスもセカンドの「晴れときどき殺人」まではなんとか三人娘の面目は保ったものの、薬師丸・原田で通じたゴリ押しは効かず以降急降下。
 とはいえ逆に売れなくなった85年頃あたりから、ようやく自分の見せ方を掴んだようで(――初期の彼女って上品に見せようとして無気力に見えてしまってた所あったよね)、歌も「野ばらのレクイエム」あたりから尻上がりに良くなっている。ビジュアルのピークもここからカドカワ離脱までといっていいんじゃないかな。CBSソニーに移籍以降はアイドルポップスとして耳に「ここちE」曲が並んでいる。大傑作といえるような曲はないけれども、いい線いってるんだよ、この時期。トンデモな企画物「サラダ記念日」ですら歌声がとてもキュートなのだ。
 とはいえ、この時点ですでに世間とカドカワが彼女に与えたラッキーチャンスは使い果たしてしまっており、芝居では原田知世原田貴和子斉藤由貴菊池桃子の脇役。歌ではブラジャーのCFソングに、映画「キョーフのやっちゃん」挿入歌と、残念なタイアップが並んでいる。レコードセールスは言わずもがな。
 これが84年段階でできていればと悔やまれる。自らの降板でふいにした映画「恋人たちの時刻」の主演(――ヌードNGだったらしい)と主題歌をやっていたらまたすこし違っていたかもしれないけれども、どうだろ。大貫妙子のアンニュイなワルツをこの時期の渡辺典子が歌うと仮想してみると意外といいんだよね。
 原田知世は自己表現ツールとしての音楽に意地で踏みとどまり、また一方の薬師丸はあくまで役者として芝居の延長線上に音楽を置き、自然と歌うことから距離を取るようになったのと比べて、渡辺典子にとっての音楽活動って、本人どれほどの意識を置いていたのかまったく不明ではあるけれども、80年代の忘れ物としてあらためて聞いてみるのもいいかも。
 「題名のないバラード」とか「カムイの子守唄」「天使のララバイ」などのサントラのみに収録されているカドカワ映画挿入歌(――意外と多いのよ、渡辺典子には)とアルバム曲を全て含めた三枚組大全集、次は待ってますね。コロムビアソニーさん。

中森明菜 「BEST COLLECTION LOVE SONGS & POP SONGS」

 松の内もすっかりあけまして、こんにちは。今年もどうぞよろしく。イベント来てくれた方ありがとう。さてさて。この年始に結婚報道やら何やらワイドショーネタがやたら聞こえた明菜さんのちょいと前に出たベストアルバムから今年ははじめよっかな。
 2012年、中森明菜の誕生日間近にリリースされたもので、結構手にしたファンも多いんじゃないかな?
 ワーナー時代の全シングルにカップリング・アルバム曲を数曲プラス。リメイク盤とアナウンスされているように、全曲ミックスしなおしている。
 2500円で明菜の80年代の代表曲を網羅できるというお手軽さと、細かいリミックスやバージョン違いで、明菜ファンのライト層、ヘビー層ともに訴求してヒットを記録したのだけれども――これさ、どうよ。私はちょっと否定的なボジションを取らせていただきたい。
 ぶっちゃけて言えば、このアルバム、写真で言うならばフォトショップ加工した写真。所々にただよう違和感が、うーん、ねえ、どうよ。私は無理。
 いや、「古い写真だったんで、褪色補正かけましたよ」レベルの加工ならば良かったんだけれども、結構余計なことしているんだよ。写真で言えば、奥に引っ込んでるものを手前に置き直したり、なかったもの新たに置いてみたり的な。とはいえ一発で印象がガラリと変わるような、別物としてありかなと思わせるような大胆ミックスはなし。うんざりするほどオリジナル音源聞いている耳からすると、「ん?」という、ビミョーな違いがむずがゆい。特にアップテンポのものは結構ひどいの目立つよね。
 ま、これが効果的になっているものもあるとは思う。「Fin」「ジプシー・クイーン」と言ったあたりね。当時の明菜の意向なんだろうけれども、ボーカルのエコー処理がちょっと過剰なフシがあって、そこがクリアになったのを評価する人も中にはいるんじゃないかな。
 とはいえ、わたしはオリジナルミックスを支持。この86年ごろって、明菜の声変わりというか、ボーカリストとして完成の域に達する直前の最後のボーカル過渡期であってさ、実際エコーごっそり取っ払っちゃうと妙に歌が幼く聞こえて、歌の世界観に届ききってない感じが、ちょっと漂っちゃうんだよね。逆を言えば「あの処理は必要な処理だったんだな」と感じ入ったりもしたのですが。
 熱狂的な明菜マニアが、そういう細かい違いを楽しんで聞く、それはアリではあるのだろうけれども、じゃ今後はこちらを日常聞き用に変えるかというと私は変えませんね、ええ。なんかさ、見知らぬ他人が、ちまちま小賢しく弄った音源って印象、拭えないんだよ。
 過去の音源をリファインしたリューアルベストとかって最近80年代のアイドルものにはちらほらあってさ。ナンノの「Re-fined」とか斉藤由貴の「ビンテージベスト」は、わたしも聞いていて「これはありかな」と思ったんだけれども、そっちはさ、ディレクターが当時とおんなじっていうのが大きいのか、きちんと過去と繋がった音なんだよ。音は変えても魂がおんなじというか。一方、明菜のこれは、違う。明菜の歌の良さ、魅力をあんまり理解してない人間が小手先でぐっちゃぐっちゃいじくったという感じ。ぶっちゃけ動画サイトにある「リミックスしてみた」とスタンス的に変わんねーんじゃね、と。私はそう思うわけです。
 たぶん明菜が聞いたなら、かつて「スーパークラブミックス」の企画にボツ出した時のように「これならリミックスした意味ないんじゃない」とか言いかねない中途半端なシロモノだと断言するね。 鬼の居ぬ間にじゃないけれども、休暇が長引けば長引くほど、こういうしょーもないものがどんどん発売されてしまうので、早く明菜様には復帰していただきたいものです。
 そういや今月末には、余計なセレクションベストが出るみたいですけれども、あれもさ、ひどいよね。なんとかならんの?「ドラマティック・エアポート 〜AKINA TRAVEL SELECTION」って。ひとまず聖子の企画パクんなよな、と。「北ウイング」ではじまって「ドラマティック・エアポート」で〆ってさ、松田聖子のセレクションベスト「エトランゼ」のDisc2、一曲目「時間旅行」で空港から旅立って、ラスト「Wing」で戻ってくるっていう構成の完全なるモロパクやん。選曲・構成担当、恥を知れよ。もう。焼き直しが悪いとは言わないけれども、やるならやるでもっと丁寧に仕事しなさいよ。と、正月明けからご立腹なまこなのでした。

竹内まりや「University Street」

UNIVERSITY STREET

UNIVERSITY STREET

竹内まりやの二枚目のアルバム。79年5月発売。状況的には二枚目のシングル「ドリーム・オブ・ユー」のスマッシュヒットのきざしが見えてきた頃、というタイミングのリリースだ。
アイドルの真似事のようなことをされられていたと自他ともに言われている忸怩たる時代の作品に、どんなトンデモでも驚かないぞと覚悟を決めて流してみたら、「え? 今竹内さんがやってることとなんにもかわらないじゃない」と拍子抜けする。
竹内まりや作詞が三曲、作曲は二曲で、それ以外は他の作家に委ねられているとはいうものの、それが山下達郎大貫妙子加藤和彦杉真理林哲司・梅垣達志といった陣営なのだから、ええ、そりゃハイセンスでしょうとも。新人アイドルの曲にありがちな泥臭さや過剰な媚態なんてぇのは一切ありませんです。
タイトル通りに東京の私立女子大生的日常と理想の世界が広がっており、そこから長閑で幸福な80年代の日本の風景が立ち上がる。そういった音から漂う時代性というのはもちろんあるにはあるが、その一方でむっちゃ手堅く皆さんご存知いつもの竹内まりやでもあるのよ。
新人アイドル的初々しい拙さとか、方向性を模索している感とか、そういうのはまったくなし。アルバムの大枠のコンセプトから細かい歌唱のニュアンスに至るまで完全に決め撃ち。こなれ過ぎてちょっと怖いぐらいだよ。
しかもこれが売れている。80年春先まで一年弱じっくり売れ続けて、成績はオリコン最高7位、23.5万枚。79年末までに20万枚売っている。シングル「ドリーム・オブ・ユー」「SEPTEMBER」が連続10万枚突破したという状況でこれだけ売れているわけですよ。どう考えても破格。
アルバム売りできるアーティストとして既にすべてが成熟している。(――これ、アルバムセールスまで考慮したら、フツーに最優秀新人賞獲得レベルだよな、こんなにアルバムで成功したこの年の新人いなかったし)。
当時のゲーノーカイのシステムでは、新人歌手のどぶ板プロモーションは避けられないことだったのかもしれないけれども、本人と作品とそれを受け止めるファンは既にそこから逸脱したところにあったのだろうね。こうした下地があって、翌年に松田聖子が登場する――というのはどうでもいい余話。
「不思議なピーチパイ」の化粧品タイアップなかったとしても80年には絶対ブレイクしていただろうし、山下達郎と結婚しなかったとしてもポップス歌手として、一線走ってただろうな、こりゃ。
アイドルでもなんでもないじゃんという思いとともに、やっぱり世に出る人は最初っから全て違うんだなぁ、としみじみ感じる一枚。

復帰しない中森明菜に関しての妄想的考察

 まったく個人的な妄想で申し訳ないのだけれども、中森明菜が歌手として表現したい世界というのは、アルバムで言えば「VAMP」「Resonancia」「Diva」のラインなんじゃないかと私は思っている。歌というよりもサウンドコンシャスな作りで、全体に鳴る音で世界観で表現する、という、
 一方で、中森明菜のファン(――今もファンクラブに入っている濃いタイプから、懐かしいなレベルのふわっとしたファンまで全て含めて)は、どちらかというと彼女に歌謡的なものを求めているような印象が強い。ざっくり言えば、歌詞が立ってて、耳に馴染みやすい、鼻歌にしやすい、テレビから流れて自然と覚えてしまうような歌ね。そういう、明菜の歌を見たい聞きたい。できるならテレビで、しかもすんごい派手な衣装で。っていう。無論、そうした保守的な歌謡曲をかつては歌っていたわけだし、そこにかつての彼女の魅力があったのだろうが、その後も彼女がそこにいるかというとそれは別の話。
 この、中森明菜本人の志向と、周囲とのギャップというのが、02年の「歌姫2」「Resonancia」の連続リリース以降ずっとつきまとっていたような気が、私はする。何かのイベントか番組で「今度はこの曲をカバーしてほしい」というファンの声に「オリジナルは?」と聞き返した明菜の言葉は本心だったように私は感じる。「もうみんな、私の新しいオリジナルはいらないの?」と。振り返ってみると、休業前の08〜09年の異常ともいえるカバーアルバムの乱打は、そうした状況下にあった彼女の悲鳴だったのかもしれない。
 中森明菜が現在、長い沈黙を守っている一方で、夜ヒットDVDなどの過去のアーカイブ化に関して積極的であるのも、そういった事なのではないかと私は邪推している。「昔の私が好きならDVDで昔の私に会いに行けばいいし、他の人の歌った古いお歌が聞きたいならカバーアルバムもういっぱい出したし。今の私のやりたい音楽? 誰もそんなの聞きたくないでしょ」と。
 最近は、各メディアで明菜待望論が語られることが少なくない状況となりつつあるけれども、それが「華やかな歌謡界の王道たる中森明菜」であるかぎり、中森明菜のシンガーとしての真の復活―――セールス的、芸能界的な意味ではなく、中森明菜がいきいきといまの自らを表現するという、表現者としての復活は、難しいのではないかと私は思っている。
 もちろん、この休業の間、明菜になんらかの心境の変化が起き「よし、もう一度、お神輿乗ってみるか」となって、かつての小林幸子の紅白バリの演出で復活、派手な衣装と派手な歌で芸能界のど真ん中に撃ち抜く、ということも全くゼロとはいえないだろうが……ってやっぱないか。
 新曲はインディーズや音楽配信でいい。ライブも小さな箱で充分。自分のペースで自分のやりたい音楽にじっくり取り組める環境をうまく作れたらと、私は思うのだけれども。昔は昔、今は今と割りきってね。
 祭り上げられて再び歌う機会を失った山口百恵と同様(――周囲が自然と忘れてくれたなら、南沙織や西田佐知子、久保田早紀のように、引退後もなんらかのタイミングでさらっと新曲吹き込んだのではと私は思っている)に、中森明菜もまた過去の亡霊に呪縛されているのではなかろうか。