リンゴ台風の思い出

台風6号、四国に上陸予定と聞いていたから関東は大したことないかと思っていたら、夕方になって猛烈な風雨で驚いてしまった。やはり台風侮りがたし。
とはいえ、いつもの凡庸な台風クラス、特にこれといった傷跡を残すことなく、あっけなく過ぎ去っていた。


わたしは今のところ運良く大きな自然災害の被害をこうむったことがほとんどないが、そんな経験の中で1番印象が強いのは、91年の台風19号、別名「リンゴ台風」である。
この台風は九州・佐世保付近を上陸し、周防灘を経て、山口県に再上陸。そのまま日本海にぬけ、日本海岸沿いを舐めるように北東に進んで、確か北海道函館付近で再上陸、というルートを辿ったと思う。(洞爺丸台風に近いタイプだったんじゃないかな、共に風台風だったし)
東北では、収穫直前のリンゴの落下被害が甚大で、このような別名がついたと記憶している。
当時、四国の松山に住んでいたわたしはちょうどこの台風の進行方向右側の危険半径内にがっつりいた。
この時の記憶は鮮明だ。学校はもちろん休校で1日中家にいた。わたしは好奇心で風下の窓を開けて外の風景を見てみてた。空の上は不吉な唸り声を上げていて、大木はこんなにしなるものかというほどその幹を左右に揺らしていた。そして時折バリバリと何かが壊れるように音が遠くからかすかに聞こえた。家の中にいても恐怖を感じた台風というのはこの時がはじめてで二度目の体験は今のところ、ない。
明けて翌日の登校、通学路に神社の鎮守の森の横をいつも通っていたのだが、そこの樹齢百年はゆうに越える大木が何本も根本からごっそり抜け落ちて倒れたり、途中から折れ、倒されて道を塞いでいた。
松山の港地区である三津浜は高潮の被害がでて数日水が引かなかったという。さらに対岸の山口の宇部空港などはもっと被害がすごかった。ほとんど水没という状況だったと思う。
上陸時900代前半の気圧だっただけある(945hPaだったと思うが自信がない)ものすごい破壊力を持った台風だった。


近年は治水事業や防災意識の向上などによって戦後しばらくの頃のように毎年の台風の度に百人以上の死者を出すようなことはなくなったが、室戸・伊勢湾・枕崎クラスの数十年に一度の大型クラスになるとさすがにわからない。昔は天気図で中心気圧がものすごく低い台風などを見るとなんとなくわくわくしていた私だったが、この台風を期に「できれば逸れてくれよ」と思うようになった。