Kyoko Sound Laboratoryは大丈夫か

 ってわけでwebってのは、やっぱり凄いよね、PCがあって、ネットに繋いでいれば、誰でも公に情報が発信・受信できる。そこには経歴も才覚も年齢も人種も性別もない。既存のマスコミではふるいにかけられ、決して公に知られることのなかった"気違い"さんの文章ですら私たちは容易にアクセスすることができる。原理原則でいえば、その平等主義は素晴らしい。大変結構。だけど、実際に気違いさんの文章に出会うとげんなりする。

 なぜ気違いさんの文章というのは、ああもこちらの精神力を奪うのだろうか。不思議なもので、気違いさんの文章というのは、どこか似ているのね。ぱっと見ですぐわかる。行間から腐臭がするというか、一瞬で明らかに私たちのいる世界と一線を画していることがわかる。
 この春、ジャニーズオタク界や2ちゃんねる界で話題をかっさらった篠原"ジブリール"聡子にしても、そう。異様なる熱意、異様なる長文、煽り立てるがごとき言文の繰り返し、執拗な描写、しかし悲しいかな、その文章には客観性と目的意識がまったく欠如しているので、まったくもって伝わらない。しかし漫然とした悪意やら傲慢さやらだけは剛速球で伝わってしまう。だから不愉快でたまらない。
 ゆえに、車に轢かれた猫の死体に目をそらすように「可哀想だけど、グロいから無視」とばかりに、気違いサンっぽいサイトはできるかぎり訪れないように、気違いサンっぽい人からのメールはうす目でさらっと流して読んで破棄しているわけだけれども。自分の好きだったアーティストがそんな気違いさんみたいな文章を垂れ流していた、と知った時、一体どうすればいいんでしょうか、神様。

 Kyoko Sound Laboratoryというアーティスト、知っている方、いるかなあ。現在は木屋響子という名で活動しているんだけれども、系統でいえば、ZABADAKとか谷山浩子とか新居昭乃とか、いわゆるアニメファンタジーサウンドで、打ち込みビシバシ、多重コーラスで、荘厳でハイエナジーなかなりかっちょいいサウンドメイクをされるアーティストで、わたしは手塚治虫の「火の鳥」をイメージした「無題 〜鳳凰の彫像〜」とか「ジャスミンの眠る黄河の泡」「Walking in the Blue sky」「TRUE」とか好きなんですが、まぁ、それはいいとして、そんな木屋響子さんのサイトの「炸裂地獄絵日誌」というコーナーなんですが。

 http://kiya-kyoko.heteml.jp/gokuakuchikusyouyamiyoukai.html
  ※ 気違いテキスト。目にも心にも悪いです 

 これは、ネタだよね、ネタだといって――お願い。
 でも最下層に以前のテキストとか続きとか、あるね。他のページでも、「PCを使ってクリエイティブな仕事をしている私のような作曲家が売れないのは、PCからの先取りにより情報を地下組織的に盗まれているのかもしれない、とまで直感する」とかいってるね、元ZABADAK上野洋子さんに対して「もし顔をあわせたら水をふっかけて海の底へしずめてやる!というぐらいの怒りだ」とまで、いっているね…………。
 嗚呼、嗚呼、嗚呼。もう、手遅れの感じが……。

 ものすごい勢いで芸名を変えまくったり、HPの構成が前々からおかしかったり、たしかに昔っから香ばしい匂いが漂っていた方ですよ。しかしなぁ……、どうしてこんなことに。しかも、これで新譜「Wind〜For Driving」が試聴する限りかなりいい感じなのが、もう、どうすればいいっちゅうねんっっ。近作の「火の鳥 〜EDENA創世記〜」とか「Prayer」とかも、決して悪くなかったしなぁ……。

 確かに前々から音楽性の割にいまいち認められない方だなぁ、と、もっと評価されてもおかしくないのになあ、と、深夜アニメの主題歌とかでいいから、アニオタの人に知ってもらえれば、新居昭乃菅野よう子や梶原由記のような形である程度受けいられるんじゃ、と、思っていましたよ。
 売れなさ過ぎて腐ってしまったのか、あるいは元々イタい方だったのか、そのどちらかは知りませんが、あぁ、ううう。なんとかならんものか。ならんかぁ。終点の匂いがするものなぁ。こんな形でサイトではじめて彼女の名前を取り上げるのが、わたしはとても悲しい。

 ※ お祭り好きの人へ。あんまり彼女を面白がらないでくださいね。音楽家としての彼女は今でも優秀なんですから。