エコノミック・アニマルズ 「帰ってきた港のヨーコ」

 75年6月発売。22位。7.0万枚。ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」へのアンサーソングというかパロディというか、そういうの。
 冒頭の「わたしがヨーコよ、逃げちゃったの、1年前子猫と一緒にね」という語りが、もうなんだか腰砕けになる逸品。
 元歌の「港のヨーコ〜」って、「追う男、追われる女」という定型に、様々な証言からヒロイン・ヨーコの姿が仄見えるところと、何度も繰り返される「あんたあの子のなんなのさ」が男に内省の刃となって深く刺さっていくところが物凄く、核心でありながら、だからこそまったく語られない男女の心をスリリングに描いた名曲だと思うのだけれども、それがいきなり内面吐露ではじまってしまうあたり、ある意味こういったパロディーソングの本懐とも言える安っぽさが全開。
 ちょっと前までのレコード業界ってのは、こういう流行モノにのっかっただけのチープな浮き草・企画盤がいっぱいありましてね、今となっては、そのチープさが逆に好ましかったりするのですが、これは「港のヨーコ〜」の発売から一ヶ月ちょっとで発売というのが、なんともはやすごい。
 「エコノミック・アニマルズ」は商社マンの素人バンドということになっていたのだけれども、アマチュアバンドが発売直後のヒット曲のパロディーを作ってこんな早くメジャーリリースにこぎつけるわけもなく、実態は山口百恵井上陽水のディレクター・川瀬泰雄、作曲家・佐々木勉、モップスメンバーで鈴木ヒロミツ実弟・鈴木ミキハル、というホリプロ在籍のミュージシャンの集まったお遊び覆面バンド。
 「港のヨーコ〜」を聞いた当日にパロディーソングを作ろうという話になり、その日に曲を作り、適当にバンドをでっち上げ――という流れ。これがそこそこ売れたせいで、三億円事件時効に絡んだ「消えた三億円」を発売するが、こちらは不発。ここで企画モノの色物のバンドとしてのエコノミック・アニマルズはおしまい。
 この曲の半年後、メンバーの川瀬泰雄が「山口百恵に曲を」と宇崎竜童に依頼して生まれたのが「横須賀ストーリー」というのはウソのようなホントの話。