研ナオコ「花火」

 研ナオコのレコードアーティストとしては最末期、93年のシングル。作詞作曲は虎舞竜の高橋ジョージ研ナオコ高橋ジョージと並べると宗教的なつながりを想起せずにはいられないが(――まあ、実際そうなんだろうけれどもね)楽曲自体は、いい。
 なにもない安アパートに暮らしている幸薄そうな二人、男の「親に会って欲しい」の一言に女は私たちも幸せになれるのだろうかと思ったのだが暗転、男は雨の高速道路で帰らぬ人に。女は留守番電話に残された男の最後の言葉――「これから急いで帰るから」を今でも消せずにいる。そして、あなたは花火。夏の日の花火だった、のリフレイン。
 という詞・曲は完全に92年に大ヒットした「ロード」のガールズサイド。おそらく研サイドから「ロード」みたいな曲を、というオファーだったのだろうが高橋ジョージは愚直に期待にこたえている。さすが「ロード」で十三曲も作った男だぜ。
 ただ「ロード」が情念ほとばしるままにハイタッチに涙にむせび泣いてるのと比べて、研の「花火」の歌唱はどこかかわいて、距離がある。心をきちんと歌に寄りそわせながらも「――という話でしたとさ」と客観で見ている視点があるのだ。そこがいい。わたしは「ロード」よりも「花火」の方が好きだ。
 悲しみ歌歌いとして圧倒的な訴求力のある研ナオコだけれども、常にある悲しみの断崖のぎりぎりで踏みとどまるクールネス、そんな粋さがこの歌にもあった。