八神純子「サマー・イン・サマー」

 82年3月、JAL沖縄キャンペーンソングとして発売されたシングル。鶴丸全盛、パイロットとスチュワーデスが高嶺の職業だったなつかしい時代のシングル、ともいえる。八神のJAL関連ではニューヨークキャンペーンソングとして80年に大ヒットした「パープルタウン」以来となる。ちなみにCMのキャンペーンガール斉藤慶子
 80年代のヤマハ音楽振興会はJALと強いパイプがあったのか、中島みゆき以外のほとんどのアーティストがなんらかのJALキャンペーンソングを歌っている。世良正則とツイストは「LOVE SONG」、石川優子は「シンデレラ・サマー」とチャゲとのデュエットによる「ふたりのアイランド」、チャゲ&飛鳥は「SAILOR MAN」と「LOVE SONG」(――これは90年代だが)、TOM CATも「サマータイムグラフィティー」といった按配。
 大ヒット曲もあるそれらと比べるといまいち今となっては印象が薄いこの曲だけれども、それも当たり前。このシングルの発売一ヶ月前、JALは羽田沖墜落事故を起こし、夏の恒例沖縄キャンペーンを一時大幅に自粛しなければならなかった――のだそうだ。盗作騒動に発展した「パープルタウン」といい、どうも八神はJALと相性が悪い。
 81年はアルバム制作に頓挫し、またデビュー以来続いたシングルヒットもモノに出来ず、いまいち精彩にかける活動となった八神純子。そこで一転、派手に展開する82年の、その核となるシングルだったのだろうが、一度掴み損ねた幸運の女神というのはなかなかとり戻しにくいものなのだろう。
 楽曲は、彼女のいわゆる洋楽志向がどんどん強まっていく時期の一曲といったところ。
熱砂の快美というか、うだるような暑さが何故か心地よさに変わる、そんな音の魔術が散りばめられていて、夏向けキャンペーンらしい仕上がりになっているけれども、八神純子ファンが欲しがるツボとは違った所を押している感じ。八神はカンツォーネ的にありえないほどに伸びるロングトーンで聞き手をいてこましてなんぼだろ、と。クライアント的には合格なんだろうけれども、これじゃダメなんだよう。「八神純子の勝負曲」としては弱すぎるのだ。
 でもこれが当時の彼女のやりたい音楽なのだろうことは、以降のアルバム作品を聞けば明らか。このシングル自体は10万枚という、一大キャンペーンソングとしては可もなく不可もなくといった成績を残したものの、彼女の音楽は以降、大衆性を離れどんどんマニアックに、本来の彼女の武器や持ち味とは違う所へと向かっていく。83年にはアメリカデビューし、84年にヤマハから移籍、85年にジョン・スタンレーを自身の音楽プロデューサーに迎え、86年に彼と結婚、87年にアメリカへ移住。これら一連の出来事の前夜の、「ヒットメーカー・八神純子」の最後の(大ヒットとはならなかった)ヒットシングルともいえるだろう。