和田アキ子「もっと自由に 〜Set Me Free〜」

 75年5月発売。まだまっとうな歌手だった頃の和田アキ子のシングル。作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童。ダウンタウン・ブギウギ・バンド「スモーキン・ブギ」のヒットがこの年の春、続けての「港のヨーコヨコハマヨコスカ」の大ヒットが、このシングルの発売直後――ってわけで、今もっとも旬なロックアーティストに曲を書いてもらおうという趣向だったのかな。初期のDTBWBは作詞=阿木と定着していなかったので(――初ヒットの「スモーキン・ブギ」は新井武士作詞)、阿木・宇崎ゴールデンコンビとしても超初期。この流れがホリプロ後輩の山口百恵とのコラボに繋がっていくのだろうけれどもそれはまた別の話。
 90年代末に宇多田ヒカルMisiaなどがデビューした頃、「和製R&Bの元祖といえば私」と和田自身よく語ってはいたが、その証明になるようなブラックテイスト漂う佳曲。オリコン100位以内にランクインはしなかったもののこの年の紅白歌合戦で歌唱している。ちょっとリズムに後ノリ気味ながらもそれが独特のグルーブ感となる歌唱も、肩を怒らせて客席を挑発するような歌唱スタイルも、決めの咆哮も、実に黒っぽい。一節泣きの入る「Set me free」なんかも絶妙。
 詞は自由を求め男と別れる女という設定なのだけれども「私をいかせてほしい」なんて科白にエロチックなダブルミーニングが漂うあたりはさすが阿木燿子。ずとんとしていかついけれども、ちゃんと和田アキ子を「女」として扱っているのだ。だから迫力満点なのに、きちんと色っぽい。
 さながらアマゾネスの求愛といった佇まいで、こういった詞を書ける人はおそらく当時阿木燿子しかいなかったんじゃないかな。「男に愛されやすい可愛い女」しかなかった歌謡界に女性の実存を初めて持ち込んだのは、阿木燿子だと私は思う。ありていではなく、きちんと体臭漂うリアルな女性像があるのだ。阿木の作詞家デビューとユーミンのブレイク、中島みゆきの登場がほぼ同時期でこの75年前後、この3名の登場でがらっと変わったなという印象をもつ。
 閑話休題。ともあれこのリアルな筆致が、和田のような、男性からみていささか規格外なパーソナリティーを持つ女性歌手にはベタはまりだったようで、半年後には同じく歌手としては低迷し三枚目のテレビタレントでくすぶっていた研ナオコに「愚図」を提供、こちらは初のヒットとなり、研はここで歌手としての自分を掴む。和田アキ子の歌手としての不幸をひとつあげるとすれば、このシングルが売れなかったこと、ってのもあるんじゃないかな。どうやればその歌手が輝くか、という直感力に関しては敵う者のなかったこの時期の阿木・宇崎コンビをして「いいおんな」になりかわっても尚、大衆に受け入れられず、結果、大味なおっさんシンガーの道へと駒を進めることになるわけだから。