中島みゆき 「やまねこ」

 甲斐よしひろプロデュースのアルバム「36.5℃」からのカットとなった86年11月シングル。サウンド面ではボニー・タイラーの 「If you were a woman」を下敷きにしている。流行りモノ洋楽を参考にするなんて中島御大には珍しいことだけれども、これは甲斐よしひろの影響なんだろうな。
 硝子のように繊細で傷つきやすく、ゆえにどれだけのやさしさで贖われようとも傷つけずにはいられない。誇り高く、美しく、愛したくとも愛しかたを知らず、ふるえ、怯えている、悲しい獣。
 いわゆる「森田透」的な――わかるひとにはわかるよね――思春期には誰でも一度ははまる、愛を渇望する中二病的アンチヒロイン像を描くことにおいて、女性では他の追随を赦さなかった当時の中島みゆきの決定版的一曲。尾崎の「卒業」と双璧なんじゃなかろうか? 剥き出しのナイフのように中島は鋭く尖っている。
 冷静に考えれば「嵐あけの如月の壁の割れた産室で、生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆の溜息だった」とか、ありえない壮絶なドラマ性も、そういうジャンルなのだからと、少女漫画やJUNE小説を読むように「可哀想な自分」の悲劇に酔うのが、一番健全な楽しみ方かと。
 この過剰で装飾的な虚構性あってこそ、中島はメジャーたりえたのだろうな、と、しみじみ。このあたりがマイナーフィールドの歌姫にとどまった山崎ハコや浅川マキなどとの大きな違い。
 本当は全然不良なんかじゃなかったけれども、心の中では不良だった――そんな世の中の大半の人たちに、中島の歌はフィットするのだろうな。もちろん、わたしもそのうちのひとり。
「どんなにやさしくされてもわたしは手なづけられないわよ」なんて、いかにもチャイルディッシュな粋がりに共感するにはおっさんになりすぎたわたしも、10代の頃はフェイバリットソングでしたよ、ええ。