瀬戸内寂聴(ぱーぷる) 「あしたの虹」

あしたの虹

あしたの虹

 
 寂聴さんが、ぱーぷるなる偽名をつかって御ん年86歳にしてケータイ小説に挑戦したらしい。

 アドレスはここ↓
http://no-ichigo.jp/profile/show/member_id/73865

 いきなりのプロフィールにのけぞり、すげぇすげぇ、ぱーぷる婆さん、貪欲すぎる、と喰らいついてみたけれども、読んでみたら、結構フツー。ケータイ小説というよりも、80年代のコバルト文庫という感じ。
 改行しまくったり、センテンスを短くしたり、漢字をひらきまくったり、わざと間抜けな描写にしたり、こまかい所に努力が感じられるんだけれども、根本的なところでちゃんと文章がうまい。ちょっとした語彙や皮膚感覚のズレもあいまって、プロの、大人の文章というのがひしひしと感じられてしまう。「大人が作った子供向け」という感じなのだ。
 まあ、確かに、源氏物語の昔より乙女のツボなんてものはさしたる変化もなく、大映ドラマも韓ドラも少女漫画もコバルトもBLもそしてケータイ小説ですらも、その物語の骨格だけを取り出せば大同小異の似たり寄ったりのラブストーリーだったりするわけだけで、女力のありあまった現役乙女な寂聴センセーも、ある面においては、ケータイ小説を書くことはできるのだろう。
 しかしこの、溢れかえる微妙な感じというのはなんなのだろう。しばし考えて、はたとわかった。
「この小説、全然へぼんじゃないからだ」
 古くは「影人たちの鎮魂歌」、あるいは「シャイニーマーメイド」。
 超絶的に下手で、かつ、リアリティーゼロのありえない設定てんこもりの小説なのだが、作者の暴走する激しい愛とパトスと妄想につい読まされてしまう、むしろそのやり切った姿勢に読後に感動すらしてしまう、そんなへぼいけど愛に満ち溢れた物凄い作品を、敬意をこめて「へぼん」と女性同人界では呼ぶ。
「小説なんて今まで一度も書いたことがない、けれどもわたしはこれを書きたいんだ」
 この無駄な愛と情熱と若気が奔流となって心の喫水線を溢れ出た時にへぼんは生まれる。つまり――、人が小説を書く人として生まれる時の「おぎゃー」という最初の一声、それが「へぼん」なのだ。
 赤子の泣き声が伝わるように、へぼんは拙かろうと、その全身全霊をこめた一心さゆえに伝わるのだ。
 しかし、赤子が成長していつか大人になるように、「へぼん」な作者もやがて、書きつづければ激しい熱は冷め、しだいに固まっていく。プロになる人もいれば、それなりだが上手くなった人、下手なりにまとまってしまう人、しかし赤子が赤子のままでいられないように「へぼん」のままでいられる人は、ほとんどいない。
 よって完璧なる「へぼん」はその存在自体が一発屋であり、生まれたとたんに伝説となるのである。熱塊ような激しいパトスは「へぼん」だけの特権なのだ。
 プロフェッショルな場でない同人界には、このような「へぼん」要素をもつ作品がたくさんある。むしろおのれのへぼんな作品と相手のへぼんな作品を叩きつけあい、ありあまった情熱と妄想をさらに増幅させていく、それが同人という場の本来のなのでは、とわたしは思っている。
 それはケータイ小説という(本質的には)アマチュアリズムな場でも、同じではないのかなあ。
 ケータイ小説を「下手だ、読むに耐えられない」と評するのは、どこか違うとわたしは思っている。あれは、言葉を持たないものが、言葉を持たない同志に向けて必死につたない物語を綴っている、その共犯関係で成立している世界なのだ。
 であるから、このケータイ小説「あしたの虹」がもし評判になるとしても、それは本来ケータイ小説を楽しむ層とは別なんじゃないかなぁ、という気がする。言葉を武器として巧みに扱うプロで大人な瀬戸内寂聴だし、それは文章から滲み出ているもの。
 ケータイ小説の読者層からは「子供同士で楽しく盛り上がって遊んでいるところに割りこんでくる悪気はないけど無粋な大人」といった感じで軽く受け流されるのではないか、と。
 「見てくれはこんなだけれども、みんな混ぜてよっ。わたしだっては本当はみんなと一緒にお砂遊びや鬼ごっこがしたいのっっ。したくてしたくて仕方ないのっ」という感じのやむにやまれぬ熱いパトスは作品から感じなかったんだよね。ちょっと遊んでみよっかな、という軽い感じ。全然向こう見ずでもなければ、むちゃむちゃでもない。心に余裕のある作家のあくまで「お遊び」なのだ。
 上手くてもいいけど(――ってこの言い方も凄いが)、その辺の本気汁出てるかいなか、どれくらい必死か、本当に仲間かどうか、といった峻別は、あの世界、厳しいよぅ。
 こういう「気持ちは十代」なお年寄りや中年、わたしは嫌いじゃないですけどね。子供の世界に大人が本気で入りこむのは、なかなか難しいものです。

 蛇足。創作をつづけていくうちに少しずつ失う情熱を同人屋はどうやって取り戻すのか。その時、彼女たちはジャンルを変えるのです。
 つまり同人歴長めの人でジャンルはまりたての時の作品が完成度と情熱の掛け算した数値が一番高く、一番面白いぞ。と。