今、エロゲーム(――ま、エロ本のゲーム版みたいなの、野郎のオナニー目的ってゲーム。色んなタイプの女性キャラクターがゲーム内に待機していて、彼女らはみんな無駄に主人公にメロメロでプレイヤーは束の間のハーレム気分を味わう、というモノ)界では「泣きゲー」「鬱ゲー」といわれる感動が売りのゲームが流行っているらしい。
エロで感動が売りってなんだよ。レンタルビデオ屋行って、感動モノの映画が見たいなぁ、とおもって普通AVコーナーをチェックするか、エロゲーユーザーのメンタリティーって全然わからんよ―――。

その話を聞いてそんなことをうっすらと思っていたのだが(――や、エロゲーとかまずやらないのよ、自分)、つい最近、話のついでに「泣きゲー」といわれているもののゲームのスト―リーの有名どころを2、3知ってしまった。
ま、ここでそのゲームのタイトルや、あらすじを述べると棘かあるのでいわないが――ていうかだらだらしたおしゃべりだったのでよく覚えていないのだ。

「なんじゃこりゃ。このご都合主義のストーリーはっっ」

妙に憤慨してしまった。
ひとことでいえはキモチ悪い。

虐待されている少女とか、植物人間の少女とか、どの角度から見ても悲惨な少女が出てきて可哀想ね可哀想ねって、そんなの可哀想に決まっているじゃん。
しかも、そんな悲惨な彼女らの悲惨さのリアリティーってのが徹底的に欠如しているし(――なんでそんな現実をさらっと甘受しているのか毛頭わからない)、主人公も可哀想可哀想思いながらセックスしているだけで、なんも彼女の本質的なところに関わろうとしない。あくまで、他人事がベース。最終的には、なにも起こっちゃいない何もしちゃいないのに、周囲のお膳立てでハッピーエンド。ってなんだよそりゃ。
お前、男だったら、立ちあがれよ。意地でも動けよ。一緒に落ちるかもしれないけれども、それを覚悟に手をさしのべるんだよ。いざとなったら二人で心中するくらいの気合を見せるんだよ。そこをなんだよ、セックスまでしときながら他人任せって。自分の心のケリのつけ方だけが問題で、結局なんもしないやつの話のどこが感動やっちゅうの。
こんなんで感動できるか。ボケ。そんな安易な感受性の持ち主は「セカチュー」でも見て感動しとけっっ。あほっっ。

と、無駄に怒りを噴きあがらせていると――会話をしていた相手が
やおいの感動と同じといえなくもない?」

………………。
――――えぇぇぇぇぇぇ――――っ。やおいと一緒かよぉぉっっっ

しかし一瞬、「全然違げぇよ」といえなかった自分がいるわけで。
いやいやいや、やっぱり違うだろうよ。やおいとは。
まぁ、自己救済的恋愛ってノリは同じかもしれないけれども、やおいはもっと登場人物同士が深くかかわり合うし。いざとなったら心中するくらいの覚悟はあるし。ただ悲惨なシチュエーションをでっち上げて「可哀想可哀想」みたいに安易じゃないモンっっ。

と、ぐだぐだ反論すると、
「いや。質のいいやおいはそうかもしれんけれども、凡百の「感動」とかいうとるレベルの低いやおいはその程度だよ」

ううううううっ。そ、そ、そうかも、しれ、ない。

いくら魂のやおらーであっても、それは反論できなかった。やっぱり、安易な感動しているやおいも結構あるものなぁ。みんな榊原史保美萩尾望都しているわけじゃないモノなぁ。

と、なぜかいつものやおい話に転がるわたしなのであったとさ。