私には、私とまったく血のつながっていない叔母がいる。
血のつながってないどころではない、その叔母には、日本人の血が一滴も流れていない。叔母の血には、スラブの血が流れている。
もちろんこれはなにかのレトリックというわけではない。そのままの事実である。その叔母は、私の母の妹にあたるだが、彼女の肌は白く、鼻筋は高く、瞳は灰色で、髪は栗色だ。一見して、明らかにモンゴロイドではない。

私の母の一家は戦前、樺太に住んでいた。
祖父は日通に勤めていて、祖母は小学校の教師をしていたという。
ある日、近隣の親しくしていたロシア人の女性が子供を産んだのだが、産後の肥立ちが悪く、子供を残して儚くなった。子供に身寄りがなかったのか、祖父母は、彼女を引き取って、育てることにしたのだそうだ。それが叔母である。

これが、終戦前のことか後のことか、というのは、よく知らない。
ソ連終戦後の樺太・千島への侵略の事実などをひも解くと、もしかしたら、もっと違う理由もあるやもしれないと思ったりもするが、惧れがあって、わたしは祖父母には訊けない。母も自身の物心のつく以前の出来事であるので、ひとまず親の言葉を事実として受け止めてい、それ以上掘り下げようとはしない。

ともかく、私の叔母は、血の色でいうと完全にロシア人である(――戸籍上は、戦後直後のごたごたにまぎれて祖父と祖母の実子ということになっている)。
海外旅行に行くと間違いなく外国語で話しかけられるし、日本でうろうろしていても、時々外国語で話しかけられる。のだが――マインドは、高校野球長島茂雄が大好きで、おせっかいで、人の世話をするのと、噂話が好きな、陽気でちょっとずれている日本のおばちゃん。どこをどう切っても、そうとしかいいようがない。
母方は母、叔母含めて四姉妹なのだが、この四姉妹揃うと、あらゆる言動がそっくりでおかしくなってしまう。全員、おんなじベクトルでズレてるのな。でも、全員がずれているから、そのズレこそがこの場においては王道、という。うわーー似たもの姉妹だ、と、取り囲まれた子供たち(――それはわたしたち兄弟のことだが)は人格の多重サラウンドにおののくのだが、ここで、叔母だけまったく違う民族の血が流れているとは、到底思えない。

母の一家を見ていると、血のつながりによるコミュニティーって、一体なんなんだろうな、と思う。
人種とか民族とか、あるいは血族とか、そういったものってのは、一緒に暮らしているからこそ培われるものであって、血の色がどうであるか、という生得的な部分はけっして根拠とはならないんじゃないかな、と。

だから、みんな血で争うのは、もうやめようじゃないか。どちらの血であろうと、きっと一緒に暮らしたら、いつかみんなキャラ被ってくるんだしさ、絶対。 ――と、わたしは能天気に思うのだけれども、世の中そうもいかないみたいで。