宇多田ヒカル 「ULTRA BLUE」

ULTRA BLUE

ULTRA BLUE

 ぶっとんだ。すごい。良くも悪くもすごい。
 はっきりいって、このアルバム「わたし、紀里谷さんと別れたくない。でも、もうわたしたち、ダメみたい」という、そういうアルバムだろ?
 いちいち言葉がドキュメンタリータッチに生々しく突き刺さる。イタい。息苦しい。ネガティブな感情が嵐のごとく逆巻くおのれの心にむかって必死に「落ち着け、私、落ち着け」といいふくめながら歌っている、というか、一曲一曲が、バラバラになった感情をコラージュしているよう、というか、心底、絶望している人だけが手にすることのできる鋭利なナイフであらゆる情景、心象を切り裂いている、というか、とにかく放射する闇のエナジーがただ事でない。ヒカルさん、マジでただごとでありません。鬱の混乱状況をそのままパッケージ、という1枚。
 このリアリティーは、コンセプトとかそういうものでなく、彼女の現在の生の心境でないと、ちょっとありえない。
 今回は、はじめて全ての楽曲の編曲・プログラミングまで宇多田本人が担当したのだけれども、それもあるのか、サウンドプロダクションまで、こう、いちいち濃密で、他者の共感を拒絶していて、ネガティブな感情にタッチしてくる。確かにブルーなんてもんではなく、ウルトラブルーだな、これは。

 自暴自棄になったり、皮肉混じりになったり、冷静に対象を観察したり、相手をさりげなく陥れたり、「陰気で悪いヒカル」がとっても怖くて、魅力的です。
 「悪い予感がするとわくわくしちゃうな(「This is love」)」とか、「どんな歌 車で彼女に聞かすの? あげたい、君の知らないCD1枚(「ONE NIGHT MAGIC」)」とか。
 特にすげ――なあ、と思ったのは、タイトルにもなった「BLUE」。「全然何も聞こえない」「全然涙こぼれない」「栄光なんてほしくない」と、否定の連続。
 さらに「どんなつらい時でさえ歌うのはなぜ?」「どんなつらい時でさえ生きるのはなぜ?」と、自問自答の連続。
 しかも、そんなかの「もう恋愛なんてしたくない 離れていくのはなぜ Darling」には驚いた。まんまやん。心の叫びやん。
 あと、「Making Love」もね、恋人との突然の別れに「君に会えてよかった。遠い街でもがんばってね」と、やさしい言葉をかけるわたし。けれどあなたは次の日には新しいおうちで誰かとセックスしている(!!)、っていう歌で、続く、「もしもお金に困ったらできる範囲内で手を貸すよ。私たちの仲は変 わ ら な い (※ あえて文字をはなしている)」の、皮肉がね、もうまんまやん、と。紀里谷にそういいたいんか、という感じで、素敵なまでに生臭。

 ま、確かに、「ただの私小説アルバムやん」といわれればそうなんだけれけども、わたしはいままでの宇多田さんのアルバムで、今作が一番好きだわ。
 こういう虚実皮肉なダイナミックな作品って、やっぱりいいようのない魅力があるし、こういうのを作ってしまったところが、やっぱり彼女は、日本の歌姫なんだなあ、とおもったりもして。ひばりちゃんとか、明菜とか、みゆきとか、ちあきとか、そしてママの藤圭子も、みんな、実生活と歌が地続きにある、不幸の似合う歌手だしね。
 日本の歌姫の業を背負うがごとく、もっとダメな恋愛をいっぱいして、もっといい歌手になれっっ。と、本人にはいたってはた迷惑なエールをわたしはおくりたい。