沢田話

沢田研二で好きなエピソード。
75年に二度の暴力事件を起こして、ジュリーは自主的に一ヶ月間すべての仕事をキャンセルして謹慎をすることにしたのだけれども、
その間、なにをするのでもなく、ずうっと家にこもってテレビの歌番組を見ていたのだそうだ。
当時は歌番組全盛、テレビのチャンネルを変えればどこかで誰かは歌っていた。
ガチャガチャとせわしなくチャンネルを変えながらほんの数日前まで自分が出ていたはずの番組をじっと、食い入るように見つめる。
華やかな世界、しかし自分はそこにいない。もちろん面白くない。けれども見るのをやめることができない。
しかし、見つづけているうちに、沢田研二の中で、テレビに出ること、歌うこと、という意味が少しずつ変わっていった。
かつてのGSの王子様・ジュリーはこの時死に、女装も辞さない過激なコスチュームを新曲毎にとっかえひっかえし、「一等賞」獲得を宣言するにまったく億さない、「わしは見世物や」と言い切る、あのジュリーが、このとき生まれた。
勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「カサブランカダンディー」「TOKIO」と彼の代表曲が連発するのは、それからすぐのことである。
それは真の全盛期を迎えるためにあったひとつの蹉跌であった。