小泉今日子(天野春子)「潮騒のメモリー」

潮騒のメモリー(初回限定紙ジャケ仕様~アナログEP風レトロパッケージ)

潮騒のメモリー(初回限定紙ジャケ仕様~アナログEP風レトロパッケージ)

 ご存知、今期のNHKの朝ドラ「あまちゃん」の劇中歌。初登場オリコン2位でヒット街道ただいま驀進中。
 去年のミュージックマガジンのインタビューで、最近聞く音楽は?との質問に『高橋美枝の「ひとりぼっちは嫌い」や川島恵の「ミスター不思議」』と回答していた小泉今日子。「はて?どういうこと?なんか企んでる?」とずっと気に留めていたけれども、ああそうですか、こういうことですか。このときに既に「あまちゃん」の企画は小泉に届いてたんだろうね。
 潮風のメロディー(南沙織)でも、潮騒のメロディー(高田みづえ)でもなく「潮騒のメモリー」、この曲は80年代アイドルというよりも80年代の「B級」アイドルのパロディといっていいんじゃないかな。明菜・聖子のトップクラスの下にある有象無象の売れないアイドルの歌の能天気な酷さを再現している。
 これを、ギャグスレスレでギャグにならずに表現できる80年代アイドルとなると、小泉以外考えられない。たとえば競演している薬師丸ひろ子には、絶対この曲は歌えない。真面目にやって痛くなりすぎてしまう。明菜・聖子もダメ。桃子も知世もダメ。由貴やナンノはやりかねないけれども、別の意味が出てきてしまう(――由貴ちゃんの「家庭内デート」なんか怖かったし)。逆に堀ちや伊代や早見、唯あたりになるとまんま過ぎて面白みがない。ただの地方営業と化してしまう。バニティーなギョーカイの遊戯感が漂う小泉がジャストなのだ。
 そもそものデビュー時のポジションからしてこういうアナクロで安っぽいB級アイドルポップスだったわけで、彼女からしてみたら、小手先で軽くいなしてみたといったところなのだろう。マツコ・デラックスなら「してやったり顔のコイズミが小憎らしいわ」とかなんとか言うんじゃなかろうか。企画モノではあるが、あざとさ、へなちょこさを含めて小泉今日子の世界といって差し支えないだろう。
 それにしても、ノスタルジーの眼差しで「80年代のアイドルポップス」を振り返った時に、明菜・聖子・薬師丸レベルのサウンド的な完成度が高く普遍性のあるハイクラスな作品でなく、こういうおおよそテキトーで下世話な作品のほうが多くの人に懐かしく響くというのは、なんとも不思議な話だ。